母
だいぶ弱った母の背中をさする。
手を握ると、骨ばって弱弱しいが温かい。
安心するよ。
と言ってくれたが、
そうじゃない。
僕が安心したいのだ。
母の手を握る。
母の背中をさする。
できることは少ないが、
明日を待つ。
今日よりいい日になると願って。
ファンクラブ
人生初めてのファンクラブ会員登録をしてみた。
年会費1万円くらい。
高価い。
今の自分にはきつい出費だけど。
よく考えてみた。
小学生のころから買い続けている少年マガジン。
180円とかだったのが200円をさらーっと超えて、気が付けば今280円とか。
一年だと15,000円くらいの出費。
当時読者の広場的な部分まで読み漁っていたのに、今正直読んでる漫画は片手位。
半分は読まずに捨ててるってこと。
前の日記にも書いたけれど、
好きなものに囲まれて、という観点から行くと矛盾している気がする。
好きな漫画を単行本で揃えるほうが、実際問題気持ちいいんじゃないか?
という思いがあった。
それを考えると、それ以上好きってのがないくらい好きなアーティストに掛ける金額としては安いんじゃないか?
と思えた。
なので思い切って登録してみました。
アルバム3枚分。
えいやー!です。
そして流れに任せて他で気になっていたポップデュオのモバイルファンクラブにも入会!
こちらは月会費300円!
マガジン一回分!
今日は色々なことが変わる日だった。
月が。
月が(昨日満月で、これからは欠けていく
ツキが。運が上がっていってほしい希望。
色々といい方向に行ってほしい願いを込めて。
明日がいい日になってほしい。
好きなものに囲まれて
最近部屋の片づけをした。
6畳くらいの一間が僕の部屋。
狭い空間にできるだけモノを詰め込む質。
先日思い付きで、壁に棚をDIYした。
よくある2X4を突っ張り棒みたいにするやつをネットで注文して、
適当にぶった切って作った。
でも自分で作ると愛着がわく。
創意工夫で乗り越えていく。
思いもよらない部分でうまくいったり、
途中でオイルステインがなくなって、墨汁で色を付けたり。
そんなこんなで完成して、
さて。
何を置こうか。
最初に考えていたCD。
机の上の色々。
あ。
最近良さが分かった観葉植物たち。
たくさんの好きなものを置いていく。
たくさんの好きに囲まれていくと、
色々考えだす。
あの名刺をどうにかまとめられないか。
充電器とかどうにか収納かっこよくできないか?
そして今日は近所の100均に赴きたっぷり1時間くらいウロチョロしてしまった。
近くのホームセンターにもよって、都合2時間以上は色々みて回った。
そこで確実に変わった自分に出会った。
アナログの壁掛け時計を探していたんだけど、ホームセンターにも、100均にも心が動くものがなかった。
そして買わずに帰ってきた。
これはいい兆し。
この流れを続けて、
自分の周りに大好きを集められるようになりたい。
比嘉大吾
先日行われたWBC世界フライ級タイトルマッチ。
前日の計量をパスできなかった比嘉大吾選手。
思い出したのは、その前大きく計量をパスしなかった山中選手の引退試合でのこと。
同じことはどちらも王座を剥奪された。
違うのは勝者と敗者。
山中戦でのネリは減量を真剣にしていたのか?
と疑いたくなるほどの重量オーバーで、違う階級と試合しているように見えた。
そしてあっさりと山中選手をKOし歓喜の声をあげていた。
比嘉選手の場合、前日計量時『汗がまったく出ない』と会長の弁があったが、
試合も減量失敗がまるわかりだった。
キレも威力もなく感じてしまう。
どれだけパンチを重ねても相手は涼しい顔のまま。
それはきっとそうだろう。
当日の朝まで飲まず食わずで、プロボクシングのリングに立てるわけがない。
当たり前といえば当たり前の話。
挑戦者は素晴らしく仕上がっている様子が画面越しにも伝わってきた。
動きはよく、パンチも重そうであった。
今回わかったのは、ネリは減量失敗してなかった。
減量する気がなかったんだろうということと、
減量という長く苦しい作業の連続こそが、プロボクシングの仕事ということなのだろうということ。
日々の練習は当たり前。
対戦相手への対策も当たり前。
すべてをひっくるめて、当日12R(12回戦の場合)戦えるだけの身体を作る。
その為にトレーナがつき、試合中もセコンドがつく。
少しでも身体に異常があれば、やはりプロの試合というのは命に直結してしまうから。
今回9ラウンドまで試合が経過したところで、棄権を伝えてTKO負けとなった。
正直9ラウンドも戦えていなかった。
初回から限界だった。
パンチを繰り出す比嘉選手の、戸惑いのような表情が焼き付いている。
2ラウンド目とか、3ラウンド目でタオルを投入しても良かった。
いつだってそうだけど、対戦選手も色々なものを抱えている。
家族を、貧困を、誇りを、名誉を。
想像でしかないけれど、ボクシングの試合はいつもそういう意地と意地をぶつけ合い、必ずどちらかが勝ち、どちらかが負ける。
残酷で、だからこそすがすがしく素晴らしいと言えるんだと思う。
比嘉と対戦したロサレス選手がTKOを宣告されたときの喜びの表情は、やっぱり感動を運んできた。
本来悔しさでいっぱいになるはずなのに、
今回の騒動で比嘉を非難することなく、体調を慮り最後まで真摯に試合を運んでいた。
すべてにおいて比嘉は負けていた。
完膚なきまでに突き落とされていると思う。
陣営側も同じと思う。
試合を組んだのは陣営だし、体調の管理だってしなくてはならない。
王者として絶対に失敗は許されないはずだった。
今回比嘉選手も陣営側も100%の謝罪をしている。
その通り。
擁護する余地はない。
でも振り返る暇はない。
いちボクシングファンとして言いたい。
それでも比嘉を応援したい。
もう一度立ち上がり、リングの上に立つ姿を見たい。
そして何より、もう一度沖縄の地にチャンピオンベルトを持ち帰ってほしい。
今はなにも考えられないとしても。
後悔の念に押しつぶされそうでも。
この試合をターニングポイントにしたなら、
立ち上がれ。比嘉大吾。
2018.4/17
高畑勲
先日亡くなられた高畑勲監督。
僕が初めて触れたのは、やっぱりきっと【火垂るの墓】だったと思う。
ひたすらに悲しい気持ちになって、二度と見たくないと子供心に思う映画だった。
結局ジブリ作品で(最近のは除く)一番見ていない作品になったと思う。
あの時の感情は大人になっても拭えないんだな。
戦争映画はやはり何度も見たいと思えない。
意識していないという意味では【赤毛のアン】とか【母をたずねて三千里】とかもそうなるのかな。
そして意識してみた高畑さんの作品で、一番好きなのは【おもひでぽろぽろ】そして【平成狸合戦ぽんぽこ】
と続く。
おもひではもー何回見たかわからない。
きゅりがほんと美味そうで。
ぽんぽこもそう。
ハンバーガー美味しそうだったな。
何回も見直しては、映像に引き込まれていた。
高畑さんの作品を見ていつも思うのは、『距離感』だった。
作品との距離感がとてもちょうどいい。
どの作品も入りこみすぎず、少し引いた場所で、僕たちを作品の中に送り出すような。
保育園の園長先生のような目線で。
その距離感が作品の最後になんとも言えない余韻を残している気がする。
とても心地よい。
おもひでは不思議な映像で、過去と今を揺れ動く女性の心を描いていた。
最後車に乗って戻っていくときの覚悟の視線は、まさにもう手を離れていた。
残された少女が僕たちのようでいて、今見直すと実は車で去っていくのが自分になっていたりする。
ぽんぽこは狸にぐぐぐーっと寄っているようで、車にひかれて死んだりしながら、図太く生きてる現実をさらりと伝えて終わる。
やさしさの距離感が見終わるとじわり来る。
最近の作品で言うと【かぐや姫の物語】は見終わった後やり切った感を感じた。
作品の感想じゃなくなぜかやりきったなぁというのが心の中をしめていた。
遺作になってしまったわけだけど、
あのなんとも言えないやさしさと冷たさが一緒にあるような不思議な感動。
僕は忘れません。
そしてぶっ壊れて見れなくなってうっぱらったLD-BOX。
DVDでいいから買いなおすかな。
もう一度、
いや何度でも観たいと思うから。
2018.4/16
母
僕の母は末期がんです。
会社を退社し、4カ月ほど北海道からの旅を終えて家に戻り、すぐのことだったと思います。
首にしこりがあるという母を、慌てふためき病院に行かせました。
ネットで調べるとやはり誰しもが疑う病名が並びます。
その時ある種の覚悟というか、避けられない現実を突きつけられました。
どうしようもない。
地面がぐにゃりと曲がるような感覚でした。
何をしていても、まっすぐにいられない。
結果は予想していたものでした。
それも一番進行の早いものでした。
それから2年たち、余命宣告を乗り越えはしました。
ステージⅣまで進攻した癌をすべて退治することは難しいものです。
効果が薄いといわれたその後の抗がん剤治療をやめることを選んだ母は、
少しの間だけ自由を謳歌しています。
それも最近はまともに歩くことができなくなっています。
どんどん痩せていきます。
直視できない現実は、
それでもやはり着実にそこまで来ています。
残酷です。
生きることはどこまでも残酷です。
生まれるということは、
その瞬間死ぬことを約束されています。
すべての人間がそうです。
生きてることを当たり前に受け入れると同じくらい。
僕は死を受け入れて生まれてきたはずなんです。
それでもやはり、母の死を受け入れることができません。
食事を受付なくなって、
食べてもすぐに吐いてしまうようになった母。
最後まで。
どうか生きてほしい。
最後の瞬間まで。
生き生きと過ごしてほしいのです。
2018.4/14