僕の母は末期がんです。

会社を退社し、4カ月ほど北海道からの旅を終えて家に戻り、すぐのことだったと思います。

首にしこりがあるという母を、慌てふためき病院に行かせました。

ネットで調べるとやはり誰しもが疑う病名が並びます。

その時ある種の覚悟というか、避けられない現実を突きつけられました。

どうしようもない。

地面がぐにゃりと曲がるような感覚でした。

何をしていても、まっすぐにいられない。

結果は予想していたものでした。

それも一番進行の早いものでした。

それから2年たち、余命宣告を乗り越えはしました。

しかし抗がん剤治療を終え、放射線を浴びせても、

ステージⅣまで進攻した癌をすべて退治することは難しいものです。

効果が薄いといわれたその後の抗がん剤治療をやめることを選んだ母は、

少しの間だけ自由を謳歌しています。

それも最近はまともに歩くことができなくなっています。

どんどん痩せていきます。

直視できない現実は、

それでもやはり着実にそこまで来ています。

残酷です。

生きることはどこまでも残酷です。

生まれるということは、

その瞬間死ぬことを約束されています。

すべての人間がそうです。

生きてることを当たり前に受け入れると同じくらい。

僕は死を受け入れて生まれてきたはずなんです。

それでもやはり、母の死を受け入れることができません。

食事を受付なくなって、

食べてもすぐに吐いてしまうようになった母。

最後まで。

どうか生きてほしい。

最後の瞬間まで。

生き生きと過ごしてほしいのです。

 

2018.4/14